令和3年9月 | 平成6年6月から門前の掲示伝道に使われた文章を掲載しております。 | ||
令和3年10月 | |||
令和3年9月 | 「じいちゃんとジグソウパズルしたもんね」五歳の中に、天は生きおり。 | 朝日俳壇 園部洋子さん(一宮市) | |
令和3年8月 | 記憶は、常に忘却との闘いです。常に、人は思い出したくないものには、背を向けるものです。だからこのすばらしい映画を見て欲しいと伝えています。あらゆる人に、全世界の人に。 | 映画監督オリバーストーン 映画「ひろしま」を見て | |
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なごりをしくおもへども、娑婆(しゃば)の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。 | 『歎異抄第九条』より | |
令和3年6月 | 十本の指は、黄金の山。 | 桑田ミサオさん(青森県笹餅作り名人)NHKプロフェッショナル仕事の流儀より | |
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食べられる、歩ける、読める、感動する、もう一つの夢は、詠える百歳。 | 松村幸一さん(千葉県我孫子市) | |
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幼稚園の卒園式で先生と約束した言葉。人の心と体をきずつけない。 | 中村璃子さん(小3)作文「こんな大人になりたい」より | |
令和3年2月 | いつも誰かに お世話になっている。いつも誰かに 迷惑をかけている。 | ||
令和2年12月 | 人の上に立つ者は、正直でなくてはならぬ。偽りを申す者は、必ず人を欺く。そして国を欺く。決して国は穏やかにならぬ。 | 「麒麟がくる」より | |
令和2年9月 | 行って帰り (冨原さんの祖父の家族が出かける時、必ず言って送り出す言葉。祖父は、広島の原爆で姉を亡くす。「元気に家を出て行っても、帰ってこんのじゃ意味ないけえの。また帰るってゆう約束をしよるんよ。」と | 冨原理生さん(中二)朝日新聞「私の折々のことばコンテスト」より |
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令和2年 | 「南無阿弥陀仏」は、「イツモ ココニ イルヨ」という お慈悲の仏(阿弥陀仏)さまのよび声です。 | 西原祐治師(千葉県柏市 西方寺住職) | |
令和2年 5・6月 | いま私にできること 私のいのちを大切にすること 他の人のいのちを大切にすること いま私たちは 大きな不安の中で 生活しています。 目に見えない ウイルスに対する不安。 いつまで続くかわからない不安。 大切な「つながり」が そこなわれてしまいそうな不安。 そんなときは 少し立ち止まって周りを見てみましょう。 「つながり」の中で 生かされている私。 だからこそ いま 私のいのちを大切にしたい。 私とつながる他の人の いのちを大切にしたい。 そのために いま 私にできることを考えましょう。 自分は大丈夫と 過信しない。 必要なものは 人と分かち合う。 根拠のない情報に 振り回されない。 不安が生み出す偏見や差別の心を 持たない。 厳しい状況の中 力を尽くしている方々に 感謝する。 「つながり」の中で 生かされている私たちは 共にささえあい 力をあわせ 誰もが安心して生活できる社会を 取り戻してまいりましょう。 |
浄土真宗本願寺派本願寺 | |
令和2年 4月 | 一言も話していないと思う日の夕は、新聞を声出して読む。 | 東京都町田市 谷 和子さん | |
令和2年3月 | 五劫思惟之摂受 「大丈夫、私にまかせなさい 考えつくした救いだから」と阿弥陀さま | 花岡静人師(奈良 勝光寺) | |
令和2年2月 | 5年ぶり 会いし友との 語らいは 変わらないねの 嘘から始まる | 藤沢美智子さん(横浜市) | |
令和2年1月 | 道徳はいくつになるぞ 道徳 念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
令和元年12月 | 念仏の道は「おかげさま」と生かされる道であり 「ありがとう」と生きぬく道であります。今をもったいないと感じて生きていけるのが念仏の生活なのである。 | 23代御門主勝如上人 | |
令和元年11月 | さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。(人はだれでも しかるべき縁がはたらけば どのような行いもするものである。) | 『歎異抄』 | |
令和元年10月 | もう九十だからと人には言うけれど でも私には ただ一人の父 | 広島市 沢井寛子さん | |
令和元年9月 | 蝉鳴きて 鳴きて命を 燃やしたる | 朝日俳壇 市川蘆舟さん(青梅市) | |
令和元年8月 | 原爆忌 一億人の 忌なりけり | 朝日俳壇 市川蘆舟さん(青梅市) | |
令和元年7月 | 父母も同朋(はらから)もいます かの浄土(くに)に 我も往くなり 遠からずして | 甲斐和里子女子 | |
令和元年6月 | 病院より 戻った父の 手を握る 冷め行く熱の 冷め切るまでは | 徳島市 清水君平さん | |
令和元年5月 | 車内にて 人身事故による 遅延聞いて 怒れる 淋しい俺だ | 国立市 加藤正文さん 朝日歌壇 | |
平成31年4月 | 四日間三交替 何万頭も 処理をした人 処理されし豚 | 伊勢原市 宇佐美政治さん 朝日歌壇 | |
平成31年3月 | 仏さま教えとは 私の願いを 聞き入れて貰うのではなく 仏さまの願いを この私が聞かせて貰うのが 仏さまの教えである | ||
平成30年12月 | 鉄砲は他を撃ち 仏法は己を撃つ | ||
平成30年10月 | してあげるより してもらふ存在に 私はうまくなれるだろうか | 水戸市 檜山佳与子さん 朝日歌壇 | |
平成30年9月 | としをとることも喜びだ 今までわからなかったことが 少しずつわかってくるから | ||
平成30年6月・7月 | 言わなければよかったひとこと 理解せぬ母とはいえど わが母なれば | 藤福代さん 朝日歌壇 | |
平成30年5月 | 亡き人をご縁として 私が仏道を歩ませて いただく | 本願寺総合研究所々長満井秀城氏 | |
平成30年3月 | 言葉には力があります。だからこそ、穏やかに話す人になりましょう。 | 手話通訳される牧野さんの言葉 | |
平成30年1月 | あの子は魚と絵が好きだから それでいいんです。 | さかなクンのお母さん 朝日新聞から | |
平成29年12月 | 道徳はいくつになるぞ 道徳 念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成29年11月 | ただ仏法は聴聞にきはまることなりと[云々] | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成29年10月 | うぬぼれが 木の上からポタンと落ちた 落ちたうぬぼれは いつの間にか また木の上に登っている | ||
平成29年8月 | 無有代者(代わるもの有ること無し) いのちそのものは 誰も代わってくれません すべてのいのちは等しく 同じ重さと 値打ちをもつ | ||
平成29年7月 | いつのころからか 米・野菜・魚・肉が呼び捨てにされている たかが「お」と笑うことなかれ 「人のいのち」も軽視されている 歴然たる証(あかし) | 五月号大乗 ある掲示板より | |
平成29年6月 | あなたより あなたを思うかたがいる | ||
平成29年5月 | 百の頂(いただ)き 百の喜びあり | 登山家 深田久弥氏 | |
平成29年3月 | 生かされている いのちを 生きている | ||
平成29年2月 | 我が心 もしも鏡に写りなば さぞや姿の 醜(みにく)かるらん =我が心 鏡に映るものならば さぞや姿の醜かるらむ。 | 作者不明 | |
平成29年1月 | 道徳はいくつになるぞ 道徳 念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成28年12月 | なにもかも まかせまつりて南無阿弥陀 この身 このままで すくわれてゆく わが往生に何も条件はいらない。 | 梅原真隆和上 | |
平成28年10月 | ナモアミダブツは 阿弥陀さまの 「私をタスケルすがた」であり わたしが「タスカッテイルすがた」なのです。 | 鎌田宗雲先生 | |
平成28年9月 | 『いきる』 過ぎ去った日は あなたの深さだよ。 来る日 はあなたの広さになるんだよ。いまこのひとときを丁寧に生きてごらん。 | 北海道教区 空知組 | |
平成28年8月 | 当てが外れた 不満の中に見えてきた 当てにしていた 当てにならない この私 | ||
平成28年7月 | 重い墓石の下へはゆかぬ 縁ある人々の こころの中が 私のすみか | 榎本栄一先生 | |
平成28年6月 | 賢くなることを 教える世の中に、 自分の愚かさを 気づかせる教えこそ、 仏の道である。 | あるお寺の掲示板より | |
平成28年5月 | 阿弥陀さまとは あなたの生き方を問わない慈しみの仏さま | ||
平成28年4月 | 娑婆の縁つきて力なくして終わるときに 彼の土へはまいるべきなり | 歎異抄第9条 親鸞聖人 | |
平成28年3月 | ご縁 ご縁 みなご縁 困ったことも みなご縁 ナムアミダブツにあうご縁 | 木村無相師 | |
平成28年2月 | 人様の口に入れるもん つくることは、 大変なことじゃ。 | 「マッサン」より | |
平成28年1月 | 道徳はいくつになるぞ 道徳 念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成27年12月 | よっぽどのご縁があって 今ここで生きているわたし たったひとつの尊いいのち たった一度の人生 わたしのかわりはいないんだ。 | 北海道教区空知南組 | |
平成27年11月 | してやっていることは よくわかるのに していただいていることには 気づかぬ私 そこに気づくだけで こんなに幸せな気持になれる。 | 北海道教区空知南組 | |
平成27年10月 | 七十億の二人と思う夜長かな | 千葉新一 朝日俳壇より | |
平成27年8月 | 生まれてくるのも奇跡。生き続けることも奇跡。いのちは大切。あなたがここにいることが大切なこと。 | 佐賀県養護教諭 白濱洋子さん (いのちの授業より) | |
平成27年7月 |
六二三(ろくにいさん)、八六八九八一五(はちろくはちきゅうはちいちご)、五三(ごさん)に繋げ我ら今生く 六月二十三日(沖縄戦終結)・八月六日(広島に原爆投下)・八月九日(長崎に原爆投下)・八月十五日(終戦)・五月三日(新憲法施行の日)。 |
西野防人(朝日新聞より) | |
平成27年6月 | 私は今日 まで海の 大地の 無数のいのちを 奪って生きてきた 私の罪は 底知れず | 榎本栄一先生 | |
平成27年5月 | 聞いてみなんせ まことの道を 無理な教えじゃ ないわいな。亡きあとにかるをたずぬる人あらば 弥陀の浄土に行たと答えよ。 | 六連島のおかるさん | |
平成27年4月 | 南無阿弥陀仏をとなふれば、十方無量の諸仏は 百重千重圍繞(ひゃくじゅうせんじゅういにょう)してよろこびまもりたまふなり 『本願寺聖典セミナー 浄土和讃 現代語訳』: 信心をいただいて、南無阿弥陀仏を称える身となると、十方世界においでになる数限りない諸仏方が、百重にも千重にも囲み、とりまいて、諸仏の本意も衆生に念仏を勧めることだとよろこび、お護りくださるのである 。 | 親鸞聖人 『浄土和讃』 | |
平成27年3月 | 仏心とは大慈悲これなり 無縁の慈をもって、もろもろの衆生を摂したまふ | 大無量寿経 | |
平成27年2月 | 声の仏様 南無阿弥陀仏 | ||
平成26年12月 | 「先祖を大切にする」とは 「先祖が大切にしてきたものを大切にする」 | 鷹谷直至師 | |
平成26年11月 | 倶会一処 死に別れ いくだけじゃない 再び会える世界がある | 『仏説阿弥陀経』 | |
平成26年10月 | めぐりあいの不思議に 手を合わせよう | 坂村真民氏 | |
平成26年9月 | お彼岸とは 阿弥陀さまのお慈悲を聴かせていただく心の週間であり 阿弥陀さまのみ教えを 私に届けてくださった 先に往きし方に感謝する 佳日でもある ※佳日 よい日・めでたい日 | 千葉西方寺 西原祐治御住職 | |
平成26年8月 | 晩年 銭がない 物がない 歯がない一人 | 種田山頭火 | |
平成26年7月 | 57才 ほろりと最後の歯もぬけて うららか | 種田山頭火 | |
平成26年6月 | 50才 見なほすや ぬけた歯をしみじみと | 種田山頭火 | |
平成26年2月 | またひとつ しくじった しくじるたびに 目があいて 世の中すこし広くなる | ||
平成26年1月 | 虚しく終わるいのちゆえに 阿弥陀さまに出遇っていく | ||
平成25年12月 | 長生きに秘訣などない たまに死ななかっただけである | ||
平成25年9月 | 笑顔は 笑顔を呼び 悪口は 悪口を招待する | ||
平成25年8月 | 私の中をのぞいたら お恥ずかしいが だれよりも自分が 一番かわいいという思い こそこそうごいている | 榎本栄一先生 | |
平成25年7月 | その人の都合で 良い雨 悪い雨 | ||
平成25年6月 | 世間虚仮 唯仏是真 | 聖徳太子 | |
平成25年5月 | あやまちを 気づくを 智慧という あやまちを くりかえすを 無明という | ||
平成25年4月 | 虚仮不実 地獄一定 | 親鸞聖人 | |
平成25年3月 | たからとは けふの命ぞ 初さくら | 千代女 | |
平成25年2月 | 限りある命を持ちて 限りなき欲を求める人ぞ悲しき | 大乗の投稿より | |
平成25年1月 | 「あたりまえ」をみんな なぜ喜ばないのでしょう | 井村和清先生 | |
平成24年7月 | 老病死を見て 世の非常を悟る ※非常:つね、なみでないこと | 『大無量寿経』 | |
平成21年3月 | ただ念仏して 弥陀に助けられまいらすべし | 『歎異抄』 | |
平成21年2月 | 我すら我のものではない ましていわんや 子と財と | 『方句経』 | |
平成21年1月 | 道徳はいくつになるぞ 道徳念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成20年12月 | 親を殺せし子あり 子を殺せし親あり されどみ仏は その親子を捨てたまわず | ||
平成20年11月 | 口よりも耳を大切に | 東井義雄先生 | |
平成18年6月 | 愛されていない命は一つもない 尊ばれない命は一つもない | ||
平成18年5月 | 驕(おご)りは人間を滅ぼし 争いは世界を滅ぼす | ||
平成18年4月 | 死ぬべきものが 今生きている 自分の今日をよろこびたい | ||
平成18年3月 | 一流は謙虚にして柔軟 | ||
平成18年2月 | 人の悪はとがめるが 自分の悪には 気がつかない | ||
平成18年1月 | 元旦や 今日のいのちに 遇う不思議 | 木村無相師 | |
平成17年12月 | ご法縁に遇えば 人生を見直すことができる | ||
平成17年11月 | 私はしばしば 仏を忘れるが 仏は私を忘れない | ||
平成17年10月 | み仏に どちらを向いても 拝まれている私 | ||
平成17年9月 | 善人になるより 悪人と気づくのは難しい | ||
平成17年8月 | 昔は「親の心 子知らず」 今は「子の心 親知らず」 | ||
平成17年7月 | 聴聞は他人事を 自分のことだと 教えてくれる | ||
平成17年6月 | さるべき業縁のもよおさば いかなるふるまひもすべし | 『歎異抄』 | |
平成17年5月 | 散ると見えたは 凡夫の眼 木の葉には 大地に還るなり | ||
平成17年4月 | お経には 庄松(しょうま)をたすけるぞよと 書いてある | 妙好人讃岐の庄松伝より | |
平成17年3月 | 人身受けたし 今すでに受く 仏法聞きがたし 今すでに聞く | 『礼讃文』 | |
平成17年2月 | 雨の日には雨の日の 老いの日には老いの日の かけがえのない 大切な人生がある | 東井義雄先生 | |
平成17年1月 | 元旦や 今日のいのちに 遇う不思議 | 木村無想師 | |
平成16年12月 | 生かされて支えられて 生きている私 | ||
平成16年11月 | この世のできごとは 何事も何事も お念仏の助縁とおもうべし | ||
平成16年10月 | 死を他人事にすれば慰霊でおわる 自分の事となれば 人生の一大事である | 真栓会カレンダー | |
平成16年9月 | 御法座に つらなったおかげで 如来さまに お育てを頂きます | ||
平成16年8月 | 生老病死の四苦八苦 避けられない人生です。 | ||
平成16年7月 | 占いやマジナイをして、いよいよ迷いを深めていく | 直栓会カレンダー | |
平成16年6月 | 人間はものを要求するが、仏はものをみる眼を与えようとされる。 | 足利浄円師 | |
平成16年5月 | みなまさに 過ぎ去るべし つねに保つべからず。 | 『大無量寿経』 | |
平成16年4月 | 私の勝手なものさしで 好い人 悪い人をつくっている | 直枉会カレンダー | |
平成16年3月 | 世の中安穏なれ 仏法弘まれ | 『親鸞聖人御消息』 | |
平成16年2月 | 少知知足(少ないものでも、それ以上を望まず、満足すること) | 即如上人『朝には紅顔ありて』から | |
平成16年1月 | 私の家族は 母と私の二人だけ。母は家のため 私のために 働いている。だから私も 母のために家事をがんばる。それが 私なりのお母さんへの恩だから。 | 岐阜市厚見小6年門田香子さん | |
平成15年12月 | 先祖のおかげでいのちがある。 社会のおかげでくらしがある。念仏のおかげでよろこびがある。 | ||
平成15年11月 | 成功か失敗かより 毎日 ベストを尽くせるか なんだ。 | 松井秀喜(ヤンキース) | |
平成15年10月 | 同情や励ましの裏に「自分のほうがましだ」と、ほっとするこころが見えます。 | 即如上人『朝には紅顔ありて』 | |
平成15年9月 | 私達は みな縁に触れれば 知らぬうちに 一線を越えうる存在です。 | 即如上人『朝には紅顔ありて』 | |
平成15年8月 | ついにゆく 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり | ||
平成15年7月 | 人から 忠告されるのは 気持ちの 良いものではありませんが すなおに 耳を かたむけよう。── より良く向上するために | 波北彰真師 | |
平成15年6月 | 何をするかわからぬ手 この手のままで合掌する。 | ||
平成15年5月 | おかげさま 今日も生かされている このいのち | 本願寺新報 | |
平成15年4月 | 明日何があっても おかしくない存在 それが人間なんだよ | ||
平成15年3月 | 流れる水はくさらないが たまり水はくさってゆく いつも新しい流れを いのちの中に引きこもう | ||
平成15年2月 | 今年からは なげき上手から よろこび上手に いいわけ上手から お参り上手になろう | ||
平成14年12月 | 仏法聴聞は 生死の一大事 うまくよく生きるためではない | ||
平成14年11月 | 浄土に生まれるから 「往生」という 行きづまるのではなく 救われるのである | ||
平成14年10月 | 胸に手をあててみる 心ぞうが動いている 私のために | ||
平成14年9月 | きれいな心になって 合掌するのではない 思い煩うままに 手が合わされる | ||
平成14年8月 | 仏教は霊魂の有無に答えず 生死の問題に答う | ||
平成14年7月 | “殺生” 生きるためとはいえ もうしわけない | ||
平成14年6月 | わが身を問わぬ聴聞は 教養にとどまる | ||
平成14年5月 | 悲しみを通さないと 見えてこない世界がある | ||
平成14年4月 | 老い・痛み・死する身 誰にも代わってもらえぬ独り | ||
平成14年3月 | 「すみません」 この一言の出にくい私である | ||
平成14年2月 | 朝夕如来さまを拝む 何でもないないようで 仏法が身につく | ||
平成14年1月 | あらたまの 年のはじめは 祝うとも 南無阿弥陀仏の こころわするな | ||
平成13年12月 | 生かされて 支えられて生きている私 | ||
平成13年10月 | あったかい やさしいことばを 引き出しくれる人に 出会いたい | ||
平成13年9月 | 人の為 と書いて いつわり と読むんだねぇ | 相田みつをさん | |
平成13年8月 | 倶会一処・・・ともに一処(お浄土)にて会いましょう | 『阿弥陀経』 | |
平成13年7月 | 心得たと 思う心には 油断がある 心得られぬと 思うことは 心得る 前兆である | ||
平成13年6月 | 晴れぬ 長雨はない いつまでも 苦しい時 ばかりではない | ||
平成13年5月 | 私は生きるために 生まれてきた 親におこられるために 生まれてきたんじゃない 親っていうのは 木の上に立って 子どもを見るって書くんだよね お父さんは木の上に立ってない 子どもの上に立っている | 「お父さんへ」5年生の子どもの詩 | |
平成13年4月 | あんなにして やったのに 「のに」がつくと ぐちが出る | 相田みつをさん | |
平成13年3月 | 何をも持たぬという人でも 天地の恵みをうけている | 小倉遊亀師 | |
平成13年2月 | 真なるものは はなはだもって難く 仮なるものは はなはだもってしげし | ||
平成13年1月 | 道徳はいくつになるぞ 道徳 念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成12年12月 | ないものを欲しがらんで あるものを 喜ばしてもらおうよのう | 河村フデさん(山口県萩市) | |
平成12年11月 | 幸せだから 感謝するのではなく 感謝できることが 幸せである | ||
平成12年10月 | 他人の「ワガママ」は 「ゆるせない!」と 思いますが 自分の「ワガママ」は 「あたりまえ!」と 思ってしまいます | ||
平成12年9月 | 生きているかぎり 待つものは 別離(わかれ) そして のがれられぬものは 老病死 よくよく 覚悟しておかねば 非常の言(ことば)は 常人の耳に入らず | 『往生論註』 | |
平成12年8月 | 摂取して 捨てたまわず ゆえに 阿弥陀仏と 名づけたてまつると これを 他力という | 『教行信証』 | |
平成12年7月 | 生も死も 仏とともに 旅の空 | 稲垣瑞剣師 | |
平成12年6月 | 「カンケイ ナイヨ」 と言うけれど 自分が 生きていることに 思いもおよばぬほどの 人々が かかわっていて下さる 自分のしていることが 思いもおよばぬほどの 人々に かかわっているのです | ||
平成12年5月 | けれど けれどで なんにも しない | 相田みつをさん | |
平成12年4月 | あたりまえに 驚く ありがたさの 発見 | ||
平成12年3月 | 阿弥陀さまのおすくいに 休みはありません | 直栓会カレンダー | |
平成12年2月 | 神仏を拝む 人は多いが 神仏を 嘆かせている 自分に気づく 人は少ない | ||
平成12年1月 | 今年こそ 本番 今日こそ 本番 今こそ 本番 | ||
平成11年12月 | 人生には やり直しはきかぬが 見直しはできる | 金子大栄師 | |
平成11年11月 | みほとけに 救われてありと 思い得ば 歎きは消えむ 消えずともよし | 伊藤左千夫氏 | |
平成11年10月 | 人間みな 裁判官 他人は 有罪 わしゃ 無罪 | ||
平成11年9月 | 海の魚は かわいそう お米は人につくられる 牛は牧場で飼われてる 鯉もお池で麩(ふ)を貰う けれど 海のお魚は なんにも世話にならないし いたずら一つしないのに こうして私に食べられる ほんとうに魚はかわいそう | 金子みすず女史 | |
平成11年8月 | 『ものさし』 正しいものにふれて 「はずかしい」と思う気持ち 真実なるものにふれて 「これではいけない」 という気持ち 「マチガッテイタ」と知らされる気持ち | 波北彰真師 | |
平成11年7月 | 落とせば 今すぐにでも壊れてしまう私のいのちだから 今ここに生きさせてもらっているということが ただごとでなく いとしい ただごとでなく うれしい プラスチックのいのちでないことが ただごとでなく ありがたい 落とせばこわれる茶碗だから この茶碗のいのちが尊い | 東井義雄先生 | |
平成11年6月 | またひとつ しくじった しくじるたびに 目があいて 世の中すこし 広くなる | 榎本栄一氏 | |
平成11年5月 | 亡き人を 案ずる私が 亡き人から 案じられている | ||
平成11年4月 | 生きながら 地獄におち 生きながら 仏様に救われる ただ 信心の如何による | ||
平成11年3月 | 『いのち』 あのせんせい むしにもいのちがあるんでしょう ともだちがふんだ むしをふんだ いのちがつぶれたひだ いのちってやわらかいんだね | みねまつたけしくん(4歳) | |
平成11年2月 | ほんものの鬼は 人の面を かぶっている | ||
平成11年1月 | 「見老病死 悟世非常」(老病死を見て世の非常を悟る) | 『仏説無量寿経』 | |
平成10年12月 | お母ちゃん あなたの子でよかった この世での最高のプレゼント 「南無阿弥陀仏」 をありがとう | 日本一短い母への手紙 受取人中村フミさん | |
平成10年11月 | 拝む手 称うる口 信ずる心 皆 他力なり | 梅原真隆師 | |
平成10年10月 | 幸せのど真ん中にいて 幸せの見えない私 | ||
平成10年9月 | もえさかる この煩悩を いかにせむ あみだ仏の み手のままに | 中村久子女史 | |
平成10年8月 | 待つ長さ 過ぎ去る速さ 生きる今 | ||
平成10年7月 | 世の中にくずはない 皆なにかするために この世に 命をもらっている | 水上勉先生 | |
平成10年6月 | あした なにがあるのか 分からない | ||
平成10年5月 | 称名はいさみの念仏なり 信のうへはうれしくいさみて 申す念仏なり いさみの念仏:喜びいさんで称える仏恩報謝の念仏 | 『蓮如上人御一代聞書』 |
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平成10年4月 | あの人がゆくんじゃ わたしは ゆかない あの人がゆくなら わたしもゆく あの人 あの人 わたしはどっちの あの人か? | 相田みつをさん | |
平成10年3月 | 如来は ダマッていなさるが 見てござる 聞いてござる 知ってござる | 桐渓順忍和上 | |
平成10年2月 | ぬけぬけと 「鬼は外」とは 笑止なり 笑止:ばかばかしくて 笑うべきこと | 福井教区大野組長勝寺さん掲示板より | |
平成10年1月 | 道徳はいくつになるぞ 道徳念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成9年12月 | ただ念仏して 還りたい | 鈴木章子さん | |
平成9年11月 | 死の別離の 悲しみのむこうに 大いなる ふる里の灯(ともしび)が見える | 鈴木章子さん | |
平成9年10月 | 念仏をおいて 悪人のおまえの 助かる道が どこにある | 高 史明氏 | |
平成9年8月 | 有縁の方々そろって 聞法に心がけられ お念仏にかおる 環境の中で 小さないのちが すこやかに 育つよう願って やみません | 即如ご門主 初山式での「御消息」 | |
平成9年7月 | 生の背後に無数の死あり 踏むな 育てよ 水そそげ | 千葉県市川市 八幡学園の標語 | |
平成9年6月 | 朝焼小焼だ大漁だ 大羽鰮(いわし)の大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の中では何万の 鰮のとむらいするだろう | 金子みすず女史 | |
平成9年5月 | 一声 一声の お念仏のなかに 仏がおられ 私を 呼んでおって下さる | 山本仏骨師 | |
平成9年4月 | 仏法を主とし 世間を客人(まろうど)とせよ | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成9年3月 | あかつきの まだくらきより 御名となふる 出ているいきぞ たふとかりける | 斉藤茂吉氏 | |
平成9年2月 | 震災で役立ったのは 知識でなく知恵でした 自分で考え行動する そんな知恵をもった人間 になってほしい | 神戸東山小学校々長 永井巡一先生 | |
平成9年1月 | 勧修寺の道徳 明応二年正月 一日に御前へまゐりたるに 蓮如上人仰せられ候ふ 道徳はいくつになるぞ 道徳 念仏申さるべし | 『蓮如上人御一代聞書』 | |
平成8年12月 | 後生の一大事とは 死後のことではない 現在において 永遠の明るさを見出すことである | ||
平成8年11月 | 「忙しくて参る暇がない」という人は 暇があっても参らない 仏法は 寿命との競争である | ||
平成8年10月 | ばらの木に ばらの花咲く 何ごとの不思議なれど | 北原白秋氏 | |
平成8年9月 | これによれ これにたよれと み仏は わがため御名を さずけましける | 阿間妙子女史 | |
平成8年8月 | 在りし日の母の 勤行(つとめ)の正信偈 わが耳底に一生(ひとよ)ひびかん | 吉野秀雄氏 | |
平成8年7月 | 血が出ていたら 痛いってわかるのに さっきな 言葉で俺 けがしとるんやわ | 原田大介氏 | |
平成8年6月 | 念仏は 自我崩壊の音 | 金子大栄師 | |
平成8年5月 | 鏡の前に 立てば 姿がうつる み仏の前に 立てば 心がうつる | ||
平成8年4月 | 私は念仏すれば 助かるといっておるのではありません 念仏しなければ 助からないといっておるのであります | 曽我量深師 | |
平成8年3月 | もとは我 すみません ありがとう | ||
平成8年2月 | その柩はどこへ 火葬場へ それからどこへ お墓へ それからどこへ 知りません 粗大ゴミで終わる 悲しさ | 新潟教区与板組雲外寺さん掲示板より | |
平成8年1月 | 一日は 大事な日よ 祖師の命日 わしが命日 | 浅原才市 | |
平成7年12月 | 罪業もとよりかたちなし 妄想顛倒(もうそうてんどう)のなせるなり | 親鸞聖人 | |
平成7年11月 | 笑顔で 「おはよう」 感謝で 「おやすみ」 | ||
平成7年10月 | 親が子を思うのは 最高の善だと そう親が 思った時 思い込んでいる時 親心は 最大の暴力になる | 灰谷健次郎氏 | |
平成7年9月 | 世の中のことは 善いこと ばかりでもなく また 悪いことばかりでもない 悪いことばかり見ていると 不平とグチはいつまでも なくならぬ 善いところを見ると そこに感謝を発見することができる どちらを見るかによって 人間のネウチがきまる | ||
平成7年8月 | 病気の治るのが ご利益ではない 病気も無駄にしない 生活力こそ 現世利益である | ||
平成7年7月 | 智に依りて 識に依らざるべし (真実の智慧によるべきであって 知識・教養・学歴等を絶対化してはならない) |
親鸞聖人 | |
平成7年6月 | 批判ばかりうけて育った子は、非難ばかりします。敵意にみちた中で育った子は、誰とでも戦います。励ましをうけて育った子は、自信をもちます。ほめられる中で育った子は、いつも感謝すること知ります。公明正大な中で育った子は正義心をもちます。思いやりのある中で育った子は、信仰心をもちます。仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。 | ネイティブアメリカンの教え | |
平成7年5月 | ついに行く身とは かねて聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを | 在原業平 辞世の歌 | |
平成7年4月 | 施して 報いを思わず 受けて 感謝を忘れず | ||
平成7年3月 | 物があることは 幸福の一要素 であるが 幸福 そのもの ではない | ||
平成7年2月 | 地がくるえば 地震 水がくるえば 水害 人がくるえば 鬼となる | ||
平成7年1月 | 生かさるる いのち尊し けさの春 | 中村久子女史 | |
平成6年12月 | 聞法は 生涯をかけて 私が受けなければならない 人間教育である | 米沢英雄氏 | |
平成6年11月 | 山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし | 種田山頭火 | |
平成6年10月 | 十億の人に十億の母あれど わが母にまさる母あらめやも | 暁烏 敏師 | |
平成6年9月 | 十人の子を養う父あり 一人の父を養わざる 十人の子あり | 『法句経』 | |
平成6年8月 | 子供を怒るな 来た道じゃ 年寄り嫌うな 行く道じゃ | ||
平成6年7月 | 一つの言葉で けんかして 一つの言葉で 仲なおり 一つの言葉でおじぎして 一つの言葉に なかされた 一つの言葉は それぞれに 一つの心を もっている(言葉一つに 気をつけましょう) | 良寛さんの言葉だそうですが、出庫ははっきりしておりません。 | |
平成6年6月 | 仏は ひとりわがために 法を説きたもう | 『大智度論』 | |
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